この時代、真に評価される芸術家像とは?

 

ゆうじろうです。

 

 

さて、数ヶ月前に初の第1回の個展を行いました。

 

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(会場風景はこんな感じです。実際はもっと明るい会場です)

 

その個展会場には大学の教授も来てくださいました。

 

そこでの話で、

芸術家としてやっていくためのスタンスとして、

どういう立場を取るべきか、という戦略的な話が特に印象的でした。

 


残念ながら芸術家として生きていくためには、

単に自分の好きなものを作ればいいというわけではありません。

 

もちろん、芸術は自己表現なのでそれも大切なんですが、

それだけだと評価されづらいということです。

 


どういうところで評価されるかというと、

表現としての面白みは当然のことながら、

 

一人の人間としての「アイデンティティ」の部分がどういうスタンスか、

ということが重要ということです。

 

大きな意味で捉えれば「国民性」ですね。

 


例えば、海外に出て作家活動をしていくとなれば

「日本人」という肩書は付きまといますし、それをどう利用するかです。

 

 


国内でやるにしろ、

 

どういう地域で育ったか、

どういう環境で生きてきて、

どういう考え方になったか

 

という部分で評価が分かれたりするんだそうです。

 


芸術をやっていると無意識もうちにも、

育った土地の色が作品に反映されるものです。

 

作品だけを見ても、

これは日本人の絵だとか、これは外国人の絵だとか、

わかることがよくありますよね?

 


やっぱり無意識にもそういうものは反映されてくるわけです。

 


僕は京都出身なんですが、

どことなく作品に京都っぽさがあります。

 

やはり京都にいると、お寺の中で色々な襖絵やら装飾を見ますから、そういうものが滲み出てくるのでしょう。

 


それは色彩であったり、モチーフであったり、空間の使い方であったりと様々です。

 


そういう部分は自分の体質的なものとしてあるわけですから、

無理に退けない方がいいと感じています。

 

僕も数年前までは西洋の古典絵画に傾倒していた時期があり、

そういう方向性でやっていきたいとも考えていたのですが、

色々と自分の表現を続ける中でどんどん方向性が変わってきました。

 


無理に自分の体質的なものを退けるのではなく、

そういうものをむしろ利用した方がより強い表現になります。

 

強い、というのは激しいという意味ではなく、

より、自分自身にしかない、しっかりと根を張った強固な表現になっていく、

という意味です。

 


結局、そういう強い作品が評価されていくわけです。

 


そう考えると、

やはり芸術は結局自分自信を見つめ続ける作業ということなんですよね。


それなしでは制作は成り立ちません。

 

 

今回のブログでは、芸術家としてのあり方のお話をしました。

あなたの参考になったのなら嬉しいです。

 

それではここまで読んでいただいてありがとうございました。

 

ゆうじろう

 

 

 

〜最後に〜

 

この内容に賛成、反対の人がいると思います。

賛成の方はぜひシェアを。反対の方はぜひ反対の意見を発信して頂けたらと思います。

 

僕の小さな声が、一つの波紋を呼べば嬉しく思います。

 

 

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【プロフィール】

 

名前:ゆうじろう

現在、国公立の芸大に通いながら日々制作に明け暮れている。

高3まで同級生から笑われるぐらい絵が下手だったにも関わらず、親友から教わったある方法を使ったことで、3ヶ月後には大規模公募展で準大賞を取り、美術予備校に1度も通わず、第一志望の難関芸大に現役合格を果たす。

現在も公募展で入選・入賞を重ね、わかりやすい実績ではMoMAニューヨーク近代美術館)でのアートフェアへの参加などがある。

現在、当時の自分のように芸大・美大受験で苦しむ人の助けになるべく、親友から教わった特別な方法をブログ、YouTube、メルマガを中心に伝授し続けており、教え子たちもぐんぐん絵の技術を向上させている。